Maru's life

そらいろキャンバス

整理、収納、家計管理から趣味のことまで。自分に優しくなれるために実践していること。

しあわせのカタチ

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突然ですが、

しあわせになるための方法はきっとあると

幼い時から信じていました。

しあわせになる型のようなものがどこかに存在しているのだと。

 

最近になって、「しあわせのカタチ」はひとそれぞれだったのだと痛感して、

自分にとってのカタチを大切に育てていこうと思っています。

 しあわせの型

しあわせになるための方法があると信じ込んでいたのには、小さい頃のコンプレックスがあったからです。

同級生に気軽に話しかけることができなくて、

挨拶するのが精一杯だった学生時代。

気軽にクラスメートに話しかける人達が

キラキラしてみえました。

それで、人に気軽に話しかけられるようにさえなれば、

きっとしあわせになれるにちがいないと信じて、

周りに認められたいと勉強に励み、

演劇部に入ったり、(入部の門がたたけなくて、

1年かかりました。)

自分を追い込んだりもしましたが、

その中でさまざまな出会いがあり、

今ではよく知らない人とでも、

あまり緊張せず会話ができるようになりました。

 

そういうこともあって、友達と話せる状態というのが、私の長年の理想の姿でした。

 

 

学校から帰宅して、友達と遊ぶわけでなく

家で過ごす子供の存在。

 

それが、かつての自分と重なり、

なんとかしたいと、

スポーツ系の習い事をさせたり、

団体活動のサークルに親子で参加したり、

いろいろしてきましたが、

現在に至るまで、

子供は大半自分の時間を過ごしています。

 

一人家で過ごしていたかつての私は、

当時、心のしんどさに触れてほしくありませんでした。

 

それで、子供に本心を尋ねることはしなかったのですが、

思い切って尋ねてみることにしました。

 

すると、意外な言葉が。

 

「別に1人でいることがしんどくない。」

「不安に感じたこともない。」

 

強がって言っているわけではないことは

これまでの子供との関係からわかりました。

 

人生において、対人関係以外のことにおいても、

不安に思ったことはないとのこと。

 

言われてみれば、

これまでの子供の行動を振り返ってみると

納得させられることばかりでした。

 

たしかに、大勢の場で発表する場面でも、
「めんどくさい」とは言っていたものの、
臆することなく話していました。

 

 人と自分を比較して、

必要以上に自分を良く見せようという

気持ちがないため、緊張しないのかもしれません。

 

「どうやって友達と話していいか、

わからないから1人でいるのだろう。」

「不安を抱えているにちがいない。」

 

かつての自分と重ね合わせることで、

思い悩み、先回りしていた私。

それが、いかに思い込みでひとりよがりだったか、

自分の感じ方を根底から覆されました。

 

同じ屋根の下に暮らしていても、親子であっても

感じ方はまるっきり違ったりするんだと痛感しました。

 

周りと比較して、

「しあわせにちがいない」

「不満に思っているにちがいない」

と他人が決めつけることは、

なんて危うくて、出過ぎたことか。

とっている行動だけを見て、

「きっとこう考えているにちがいない」

と思うことは、

私の勝手な妄想に過ぎないのだと身に沁みました。

 

「人にこうあってほしい」という思いが

強ければ強いほど、

それが実際と乖離していると感じられた時、

はがゆさを感じ、

心が波立ちます。

 

自分自身が

物事をどう捉えるかによって、

心は大きく揺れ動きもするし、

穏やかなままでもいられる。

 

それを子供が教えてくれました。

 

彼は彼なりのしあわせを見つけてくれたらいい。

 

しあわせの価値観を押し付けて、

相手を評価するのはお互いにとって

しんどいだけです。

 

だた、親としては、

本人が自立できる状態になるように

サポートしていけたらいいと、

遅ればせながら、

自分の方向性が見えてきました。

 

と同時に、子どもにばかり目を向け、

その成長に一喜一憂するのでなく、

子どものしあわせを願いながら、

自分自身で完結するしあわせも

育てていこうと思いました。

 

 

しあわせのカタチ

結果が出ると達成感があり、

それを認めてくれる人がいれば

ますます嬉しい。

私自身、誰かのお役に立てたと感じられた

時、しあわせな気持ちになれます。

 

でも、達成感や評価ばかりを求め続けると、

常に走り続けないといけない状態、

常に心が渇いた状態になる危うさもあります。

 

自己評価にも振り回され、

心が疲れていたのだと実感した時、

存在しているのに見過ごしていたもの、
その存在に気づいて、

目を向けていこうと思いました。

 

 

 

存在に気づくこと

 すでにあるもの、

そこにしあわせを

感じられると

こころがほっこりして、

温かくなったような満足感があります。

 

砂利の間から、顔をのぞかせる幼苗

 

カエデ

 

ちかくに、それらしい木がないのに、

どうやって風に吹かれて
やってきたんだろうと想像を膨らませると

楽しいです。

 

 

石段の段差部分(上がり口のところ)
に垂直に咲く花

 

石段に咲く花

 

少ない土にもかかわらず、
しっかりと根をはり、花を咲かせている姿。

 

 

 

自然界での気づきだけでなく、

日常生活でも気づきがあった時、

しあわせな気持ちになります。

 

 

薬箱の中

 

薬箱

 

疲れた状態だったから、ということも
あったのかもしれませんが、

薬箱を開けてみると、

整理された状態で薬が入っていて、

 

なんだか心が落ち着きました。

 

 

 

私は整理整頓したいという気持ちは強い

ものの、それを維持させることが苦手です。

 

種類ごとに仕分ける作業は好きですが、

それで満足してしまい、

元来ずぼらな性格のため、

箱の中身の向きが揃っていないことがよくあります。😢

 

そんな性格ゆえに、思いがけず、

きれいな状態が維持されていると、

しあわせな気持ちになり、

わたしもなかなかやるじゃん。😁と

自分をほめてあげたい👏気持ちになりました。

 

 

しあわせのストック

こころが癒され、満たされた時、

可能なら写真を撮って、

スマホのアルバムに保存しています。

 

フォルダの名前は「しあわせのカタチ」

 

写真で残さなければ、忘れてしまうような

小さな気づきですが、

アルバムに保存して時々見返すことで、

ほっこりした気分になれます。

 

 

改めて、

今回アルバムを見返してみて、

 

これからも、

たくさんのちいさなしあわせ✨を

ストックしていきたいと思いました。

 

長々とお読みいただき、

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

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